ザ・ベストテン~9999点

ヒデキのパイオニア☆スピリットデー:1979年4月5日

『ザ・ベストテン』は、1978年から1989年まで12年間生放送されていたTBSを代表する音楽番組。
ランキングはレコード(CD)売上、有線放送、ラジオ総合、ハガキリクエストでの各4要素の1位~30位をピックアップし、有線1位で30点、それ以外の3部門は1位なら各90点となる。これを33.3倍して、最終得点を計算する方式である。この計算方式ですべて1位を獲得した場合に満点の9999点となる。

▌番組史上初の9999点

1979年4月5日、約11年半に及ぶ『ザ・ベストテン』の歴史の中で初めて、この9999点の満点を叩き出された。

それがのがヒデキの「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」だ。

しかもこの週に続き、翌週の4月12日にも9999点を獲得し、2週連続の満点という快挙を成し遂げた。

1979年2月21日に発売された「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」は、1979年3月8日に『ザ・ベストテン』の6位にランクイン、早くも翌週15日には1位を獲得、5月10日まで9週間連続で1位の座を守り続けた。

次のシングルリリース『ホップ・ステップ・ジャンプ』が5月21日に発売されたこともあり、6月7日の10位を最後に残念ながらランキング外となってしまった。

▌『ザ・ベストテン』ヒデキ・トリビア

  • 番組オープニングのライトアップされたステージシーンの映像は、ヒデキの武道館リサイタルのステージの映像だった。
    当時の番組プロデューサーがヒデキのコンサートの演出も手掛けていたため、この武道館のステージ演出に思い入れがあったのでは…と、のちの週刊朝日「ザ・ベストテン裏話」でヒデキが語っている。
  • 寺尾聰が「ルビーの指環」で11週連続1位を達成、その記念としてルビー色のソファーが番組からプレゼントされ、彼の指定席としてスタジオに設置された。また出演回数が200回を超え、当時の出演最多記録となった田原俊彦にも青いソファーが贈られ、スタジオに置かれた。
    しかし9999点という番組史上初の記録を打ち立てたにもかかわらず、スタジオに何の記念も残されなかったことが、ファンの間でも残念な思い出として残っている。

※参考文献