ヒデキのパイオニア☆スピリットデー:1974年2月25日
派手なマイクスタンド・アクションといえば、ロッド・スチュワートのパフォーマンスが有名だが、このロッド・スチュワートが参加していたフェイセズの日本武道館公演に、1974年ヒデキはかまやつひろし氏と訪れていた。
そのカッコ良さに衝撃を受けたヒデキは、いち早くマイクスタンド・アクションを振り付けとして取り入れたのが、1974年2月25日発売のシングル「薔薇の鎖」である。
その後のコンサートでも、ロック系の楽曲ではマイクスタンド・アクションがヒデキのデフォルトになったのは言うまでもない。


産経新聞で掲載されていたコラム『のどもと過ぎれば』やのちの東京新聞の連載コラム『ヒデキ!カンレキ!! 感謝の歴史』でも、その当時の思い出を語っている。
かまやつひろしさんからお誘いがあった。「ヒデキ、ロッド・スチュワートがいるフェイセスの武道館公演を観に行こうよ」。ついでにロッドと対談もできることになったぼくは、最前列で目を皿のようにして彼のアクションを見つめた。スタンドを軽くけり上げたり、放り上げたり…。目が点になった。
1997年2月15日
産経新聞連載コラム「のどもと過ぎれば」
このコンサートの際に、かまやつ氏がロッドの使用していたマイクがアルミ製の軽いものであったことを発見、ヒデキのために自身のネットワークで特注のアルミ製マイクスタンドを発注してくれた、という話もある。
また、すでにマイクスタンド・アクションを取り入れていたかまやつ氏がヒデキに伝授した、という説も伝えられている。
当初は歌手がマイクスタンドを蹴るなどとは不謹慎だと言われたり、蹴った際にも音が入ってしまうせいで、音響スタッフにも渋い顔をされていたようだ。
ところが曲がヒットして人気が出てくると「このタイミングでボリューム切っておく?」などと、逆に気を使ってくれるようになったそうである。

フェイセズのコンサートには、意外な後日談もある。
前座のジョー山中バンドで演奏していた芳野藤丸氏にのギターに惚れ込んだヒデキが、のちに偶然乃木坂で藤丸氏に出会い、バックバンドとして参加してほしいと誘ったという逸話だ。
藤丸氏がその後、ヒデキの音楽を作り上げていく上での偉大なパートナーになったことは言うまでもない。